神様は一人二人と数えずに一柱(ひとはしら)二柱(ふたはしら)と数えます。現在の祭神は上記四柱です。実は全国に614社ある住吉神社と同じ祭神様を祀(まつ)っております。
主祭神の底筒男命と中筒男命と表筒男命の三柱は「住吉大神(すみよしのおおかみ)と総称され、『古事記』『日本書紀』では二つの場面で登場する神々です。
この三神は「日本書記」に黄泉の国(よみのくに)から帰った伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が身についた穢れ(けがれ)を清めるため、川の中で禊(みそぎ)を行った際に生まれた神々であると記されています。
そのあと、神功皇后の新羅出征に際しては、住吉大神の教えと御加護により、無事に戦勝を果たしたため、長門(現・山口県下関市)に荒御魂(あらみたま・活動的な働きの神)を、摂津(現・大阪市)に和御魂(にぎみたま・穏やかな働きの神)を祀(まつ)る神社を創建したのが、住吉大社・住吉神社の起源であるとされています。
こうした起源などにより、海上安全の神として信仰され、住吉大社では遣唐使派遣の際に、渡航安全の祈願がおこなわれました。庶民からは漁業の神として、水に結び付くため農耕神としての信仰を集めるほか、近世以降の商業発展とともに、各業種にわたる崇敬を広く集め、商売繁盛の神としても崇められています。
『古事記』『日本書紀』は神社神道に多大な影響を与えており、日本神話の歴史解説書的な面や日本人の精神世界を伝えるバイブル的側面もあります。『古事記』は712年、『日本書紀』は720年、いずれも8世紀のはじめにまとめられた歴史書です。神代から書き始められ、『古事記』は推古天皇、『日本書紀』は持統天皇というように共に女帝で終わっているところも同じです。また、両書とも編纂の出発点が、7世紀後半の天武朝にあるという点も一致しています。